オレンジの壺:感想 [タイトル:あ行]
宮本輝 『オレンジの壺』上・下, 光文社
20代後半の女性には特におすすめの作品。
一人の女性が成長していく姿を、祖父が遺した日記の謎を追う過程をとおして描いた物語。
日本文学は普段あまり読まないのだが、宮本輝は良い。
奇を衒わない誠実な文章、温かみのある人間描写、上質なストーリー。
何度か新装版が刊行されているので、表紙デザインが気に入ったものを入手すると良いだろう。講談社文庫の新装版(上)(下)は入手し安いと思うが、光文社文庫版のオレンジの表紙が上品。
主人公の佐和子は25歳、離婚したばかりの女性。
自分を女性としても人間としても、つまらない、魅力がないと自嘲する日々の中、今まで読もうともしなかった亡き祖父の日記帳のことをふと思い出す。
日記には、第一次世界代戦後に渡仏した若き祖父の苦労と愛と「オレンジの壺」の謎が書かれていた。佐和子は、それまでの自分では考えられない衝動で、日記帳に隠された真実を知るためフランスへ向かった。
戦争の歴史と関係者の跡をたどる旅を通し、彼女は自分自身の幸福と生き方にも向き合い始める。
佐和子は、傷ついた自尊心を諦めで慰めているため、身動きが出来なくなっているのだろう。これは、20代の女性の等身大の姿だと思う。
そんな佐和子が、物語が進むにつれて少しずつ変化していく様子に、やさしい気持ちにさせられる。
ミステリ風の物語としても楽しめるが、一人の女性の成長の物語として絶品。
また、祖父・曽祖父の時代、大戦の気配に覆われた世界を垣間見ることができた。
私の生きた時代は、夢みたいだった。まぎれもなく歪んだ時代でした。しかし、その歪みが、
まっすぐ高く跳ぶために屈んだのだという時代であってもらいたいものです(光文社文庫版, p.181)
新編 悪魔の辞典:感想 [タイトル:あ行]
アンブローズ・ビアス 『新編 悪魔の辞典』, 岩波書店
暇つぶしにぴったりの一冊。単語集の構成なので、通読せずに、ぱらぱらめくって、気になった語を読んでみても良し。『筒井版 悪魔の辞典〈完全補注〉上・下』もあるが、こちらは作家・筒井康隆によるまさに「筒井版」。まずはシンプルに岩波版(西川訳には難もあるが)をいかが。
19世紀後半~20世紀初頭のジャーナリストだったビアスが、ありふれた言葉を、風刺に満ちた解釈で説明している。
皮肉と冷笑をもって、痛烈に一言。
斜に構えた態度を面白く思える(もしくは苦笑で済ませられる)なら、気にいった語を人に紹介したくなるだろう。
私のお気に入りは、「合理的な(rational)」と「無学者(ignoramus)」。
ただし、真面目すぎる人にはお薦めできない。
また、女性に対する表現がかなり辛辣なので、フェミニストの方も怒るかもしれない。少なくとも私には、ビアスとは友達になれそうにない、と思える。
あくまで、冗談の一種だと思える人だけどうぞ、お楽しみください。
嘘つきアーニャの真っ赤な真実:感想 [タイトル:あ行]
米原万理 『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』, 角川書店
ロシア語会議通訳者でもあった作者の巧妙な語り口が読みやすい。
単行本もあるが、持ち運びに便利な文庫版が良い。
作者は1960年代にプラハのソビエト学校に通っていた。
少女マリと、個性的な友人たちとの、ユニークなエピソード。
そこに無理なく挟み込まれる大人になった作者の視点により、当時の社会が語られる。
そして、三十年後のプラハを訪れた作者が知る、少女時代には見えなかった真実とは。
1960年代のプラハといえば、「プラハの春」前夜である。
何気ない生活を送る少女たちの背後にも、激動の足音が近づいていた。
慌しい、時代。
中・東欧は正直言ってなじみが薄く、教科書以上の知識は無かったが、この本を読んで、当時の雰囲気、人や街の空気が、とても身に迫ってきた。
ユーゴスラビアを愛しているというよりも愛着がある。国家としてではなくて、たくさんの友人、知人、隣人がいるでしょう。その人たちと一緒に築いている日常があるでしょう。(角川文庫版, p.291)